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a hole

この殺気と恐怖に満ちた空気感はなんだ。

はりつめた糸も切れてしまえば、安心感を得られるのだろうか。

 

いっそ気づかれない内に、逃げてしまおうか。

役にたつ事なんてないのだろうけど、それでも今いる現実からから逃亡したい。

誰にも知られず、見つからずほっそりと暮らす...なんてこと出来たらいいのに。

そんな考えを持ったところで、未来は薄く暗いのに。

 

そんな苦しい状態の中で今まで、僕がずっと疑問に思っていたことの答えが解ったような気がする。

僕のこの憤りの矛先はどこなのか?

それはきっと科学だ。

 

この病によってくらった精神的負荷、進展しないこの苛立ちと絶望感は現代の科学からきているのだろうと。

現代の科学 医学は多くの人の犠牲によって解り得たこと。ただ、この犠牲が自分やその身内、知り合いに降りかかると、途端に怒りを覚える。

知らない誰かの犠牲は仕方ないと容認できるのに。

 

その発展途上の科学の犠牲の一つに自分がなるのかもしれない、研究材料の一つになるのかもしれない そう思うと、こればっかりは恨んでも無意味であると飲み込める。

そういう世界で飯を喰わせてもらっていたのだら、逆恨みするのもお門違いだ。

 

僕が死んだとき、その脱け殻はきっと一般的にはゴミ同然。

しかし、細胞や骨や臓器などは出すところに出せばそれはきっと役にたつのだろう。

それならば、死んで尚、役に立つならこれは自分の生きた証の一つになるのではないだろうか。

よっぽどの著名人でない限り、人の人生なんて100年あれば顔も名前もその人の人生も忘れ去られるのだから。

 

こんなこと、眠れないからといって文章にしている僕は中々ヤバイ

 

何もなく年が越せたと言うには無理がある一年だったけれど、来年も再来年もそのまた来年も地獄には変わりはない。

地獄は飽きがこない。常に底辺を見せてくれる。まだ、掘れるのか。まだ下があるのかと。

死ぬ事が不幸せでなく、死ぬ事が幸せになる一番の近道なのかもしれない。幸せになりたいのなら死ぬべき菜のかもしれない。

でも、死後の世界はきっとつまらない。

これ以上の発見や驚きはないだろうから。